「自分の運命が決まるとき」
慶應義塾大学 発生分化生物学教室 須田年生

この稿に何を書くべきか? 新学術研究「血管-神経ワイヤリング」の目的や意義、および有馬でのキックオフミーティングの内容は他稿に譲るとして、アドバイザーとして総括班に参加しているだけの私は、「遠い昔」のことを書き、人との出会いが如何におもしろいかを言いたいと思う。

 

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 この稿に何を書くべきか? 新学術研究「血管-神経ワイヤリング」の目的や意義、および有馬でのキックオフミーティングの内容は他稿に譲るとして、アドバイザーとして総括班に参加しているだけの私は、「遠い昔」のことを書き、人との出会いが如何におもしろいかを言いたいと思う。

アメリカ留学(サウスカロライナ医科大学・小川真紀雄研究室)から帰国して間もない私は、自治医大で「これから何をすべきか」を考えていた。研究に集中すべきか、あるいは臨床も続けていくべきか? そんな時、三浦恭定教授から、「岡田節人(おかだときんど)先生から、須田さんに北フランスの会で造血幹細胞の話をしてもらえないかという依頼があった」と伝言された。発生学の大御所から指名を受けてとてもうれしかった。その会は、岡田先生がLe Douarin教授とオンフルールで共催されるもので、女史を尊敬する三浦教授自身も出席されたかったであろうが、アメリカ小川研究室でのSingle cellの研究が認められて若造の指名となったらしい。私は、大喜びでその会に参加した。女史は、神経冠細胞の多系列への分化過程を、トリ・ウズラのキメラ実験で明らかにされていた。ウズラは、核ヘテロクロマチンのパターンがトリとは異なり、移植後分化してきた細胞が移植片由来か宿主由来かが鮮明にわかる。このすぐれたLineage Trace の系を使って、神経冠細胞の生体内での分化様式が明らかにされていった。それらの成果はすべて教科書の記載となった。私自身は、造血幹細胞が赤血球や白血球に分化する過程をin vitroで解析していて、それはサイトカインによって分化方向が指示されるのではなく、Stochastic Processによると発表し、女史の仮説に沿ったものとなった。この時、江口吾郎先生によるイモリ網膜の水晶体への分化転換の話をまとめて聞くことができた。Trans-differentiationの研究で、現代的テーマである「分化のReprogramming」の先駆である。緑の上着を着た‘Tokindo’も、女帝のような‘Nicole’も、私には彼らの雰囲気自体が新鮮であった。オンフルールでは、木造の教会、塩の倉庫、黒猫の像のある屋根を見学して歩き、澄み切った光を堪能した。印象派の画家がノルマンディーのこの小さな港町を好んだのも分かるような気がした。会の後の夕食は遅く、ブルーチーズや香りの高いカルバドスを深夜まで楽しんだ。発生学の新参者ながらあまり物怖じせず、阿形清和先生と昔からの知り合いのように話をすることができた。
北フランスでの会が終わった後、予定のなかった私は阿形さんにくっついて、彼の後輩である「淑子」の留学先をパリ郊外(Nogent-sur-Marne)に見学することになる。世界に知られたその発生学の研究所の佇まいは、聞きしに勝るものであった。通常の「邸宅」を研究所に変えたものなので、門の脇には、貧しい鳥小屋があり、各室には大きな窓があった。「実験台は低いし、朝はまぶしいし」と、まるで小娘が映画から出てきたような感じの淑子さんは言った。淑子さんのフランス語の発音はいかにも耳から入った感じで、「アテネフランセ」に通って多少なりともフランス語を習おうとした私は、それだけで感動したものだ。女帝に会うにはドアを2回通らなければならなかった。会う研究者は女性ばかりで、隅のほうにイギリス人男性が一人だけいた。「英語を見てもらうのに必要なのよ」と説明を受け、私たちは「女の館」を後にした。それから驚いたのは、車窓に貼ってあった駐車違反の紙を、彼女が「アララァ、フランスの警察は全くあほなんだから」と破り捨てたことであった。世の中には「なんとまあ勇敢な女性がいるものだ」と感じいった次第である。
今振り返ってみると、私はこのフランスでの研究会を機に、「研究だけで生きていこう、臨床をやめよう」と決心したように思う。その引き金は、発生生物学の大御所である岡田先生やLe Douarin先生の謦咳に接したことであろう・・・しかし、本当にそれだけであったろうか? もしかしたら、自分よりも年下の女性が、勝手の違う異郷で軽々と研究者として生きているのを見たからかもしれない。人は思わぬところで大きな影響を受けてしまうものである。
1月に開催された有馬の研究会ではたくさんの若手が集まり、夜遅くまで話をしていた。このような研究会を通して、いろいろな人に出会い、みなそれぞれ自分自身の運命を決定していくことになるのであろう。25年も前の私個人の分化決定(commitment)を書かせていただいた。

 

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